文化祭でやる演目を既製脚本にするか創作脚本(石井作)にするか、というお話。

脚本担当の自分としては断然創作派。最近、恐ろしく未熟ながらも作家然としてきた自分内の演劇論に照らし合わせれば至極当然の事か。出来たモノは是非とも外に向けて発信したい性分。

きっと既製に決まったらオレはどこに向けて良いか分からないモヤモヤをまた抱えることになるんだろう。んで他人に迷惑掛けて。最悪だな。

結局、オレの行動、思考の基盤になってるのは「プレイヤーだけで目立つよりもクリエイター、プロデューサーとしても目立った方が良いじゃん」って事なんだよなぁ。烏滸がましいにも程があるのは重々承知の上。しかし、その烏滸がましさを客観的に叩き潰してくれるような人が居ない。このまま行ったらオレはどこまでも調子に乗り続けていくのかも。それは自分でも見てて醜いものだと思うので是非ともどうにかしたいのだが今のところどうしようもない。

下手に脚本で賞とかもらったり褒めたりされたからだよなー。この妙な万能感が湧き出てきたの。この浮き足だった状態で取り返しのつかないミスをしてしまいそうで怖いよ。

いっそ演技なんてビタ一出来なければ良かったのに。若しくは脚本なんて書けなければ良かったのに。目立ちたがり屋は調子に乗るんだよ。人に認めて貰いたいからさー。

考えが頭ん中グルグル回っててもうどうしようも無いです。ネクラの考え込み屋は目立ちたいとか思っちゃいかんのだろうか。明日も部活だ。